世界のことを知りたい

読書習慣を付けたい。…マンガも本だよね?…バナナはおやつだよね?

魅力的な話がたくさん入ったショートショートなマンガ集『ひきだしにテラリウム』

九井諒子 / イースト・プレス (2013/8/9)

九井諒子によるショートショートなマンガ集。短編ストーリー33話が入っています。ちょっと真面目な話もあれば、馬鹿らしい話も。私は九井諒子さんのストーリーは何か風刺が入っているだろうと思いながら読んでしまうので、馬鹿らしい話が来た時にはどうにも笑ってしまいます。

パラドックス殺人事件

お気に入りは「パラドックス殺人事件」。映画撮影中の田中さんという俳優が脚本に入り込んでしまい、演技中に恋人が死んだ悲しみで「なぜ神はこのような運命ばかり俺に与えるのか! こんな下らない世界を作り出す神などいらぬ!」と憎しみを覚え、脚本家(= くだらない世界を作り出す神) をわずか1コマで殺してしまいます。「ぐ、ぐえー」。

この事件がニュースとなり、テレビで放送されます。「検事側は『神である脚本家が死ねば劇中自体が存在しないこととなり、犯行動機にパラドックスが生じている』と主張。対して弁護団は『映画制作には大勢の人間が関わっている。つまり劇中世界は多神教であり依然として存在している。』と真っ向から異議を唱えています」。

f:id:arityk:20151024222554j:plain

「これには宗教業界、SF業界、果ては哲学業界なども巻き込み、大きな議論となっています。果たして脚本家を殺害したのは一体誰なのか? 裁判の行方が注目されます。」 …ここで1コマ空き、このニュースを茶の間で見ていた人が「田中だよ」と冷静に一言。

最初の1~2ページで冗談だと分かった上でマンガを読むのですが、ニュースの言葉は妙に説得力があり、なるほどなと思わせられてしまいます。確かにそういう見方もあるなぁ、と。「なんてくだらないんだ」と言いながら笑ってしまいます。九井諒子さんはこういう話を描くのがうまい。

かわいそうな動物園

他のお話では、最初意味が分からなくて戸惑ったのは「かわいそうな動物園」というお話。でもこの話はなかなか良く出来ています。

まず動物園が描き出され、鳥がいなくなってしまったという話を入園者とし、すぐに象の子供が生まれるシーンになる。飼育員達がそれを囲み、「せ、性別は…?」「メスです!」「ようやく…」「しかしこれは色素欠乏…、アルビノですね…」

場面が切り替わり、「反対です!確かにアルビノは体の弱いものが多いですが、それは野生化でのこと。手厚く見てやれば…」「…そんな余裕は無いことくらい分かっているだろう。大型動物は子を生かせば親を殺さなくてはならない」。

ここで、私は動物園が経営難に陥っているとミスリードさせられました。しかし、その次の場面では鳥が産んだ卵を潰すシーンになります。「一体いつまでこんなことをしなくちゃいけないんでしょう」。いざ象を殺す場面では「やはりこんなことしてはダメだ」などと一悶着起きます。その次の場面が下です。

f:id:arityk:20151024222616j:plain

彼らが外に出た場面で、この動物園が船の上にあると教えてくれます。「戻ってこ-い」と声を掛けると次のシーンになります。

f:id:arityk:20151024222625j:plain

これで終わり。最初これを見た時意味が分かりませんでした。「経営難を吹き飛ばせるほど、オリーブの葉は売ると高いのか?」。

さて、ネタバレというか意味を書いてしまいます。最後のシーンの「これ、オリーブの葉です」という言葉とその背景がこの短編の意味を示しています。「オリーブの葉」は旧約聖書に登場した「ノアの箱舟」の終わりの場面に登場します。

ノアの方舟 - Wikipedia

神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神と共に歩んだ正しい人」であったノア(当時500~600歳)に告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。

箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。箱舟の内と外は木のヤニで塗られた。ノアは箱舟を完成させると、家族とその妻子、すべての動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった。

40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。

ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす献げ物を神に捧げた。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。神はその契約の証として、空に虹をかけた。

— 旧約聖書『創世記』より

最後のシーンの背景をよく見てください。何かが水没したような様が描かれています。ここから分かるのは、地球かどこかの星の陸が水没し、いなくなった鳥がオリーブの葉を加えて戻ってきたこと。そして「ああ、ノアの箱舟の出来事を摸倣しているのか」と分かります。

ここで、この短編の最初に遡ってプロットを追っていくと、鳥がいなくなったのはノアの箱舟の伏線です。次に、象の子供が生まれて喜ぶ。しかし「大型動物は子を生かせば親を殺さなくてはならない」。次は日常的に鳥の卵を割るシーン。実はよく見ると卵のサイズがばらばらに描かれています。鳥の種類が違うのでしょう。そして鳥がオリーブの葉を加えてやって来て、陸地があると分かり、「もう象の子も殺さなくて良いんです」と言う、と。

つまり動物園かと思っていたものはノアの箱舟で、動物たちは種を存続させるために人類が乗せていたということ。最初は経営難で大型動物を殺すのかと思いましたが、この処置は同じ動物を増やさないためなのでしょう。卵を潰すのも動物を増やさないため。ノアの箱舟だったと分かってからもう一度読むと各シーンの意味が分かります。

ただ、少しおかしな点もあります。ライオンなどの動物が登場するシーンではそれぞれの種が1匹ずつしか描かれていません。つまり、つがいを船に乗せていないということです。これを、子象を産んだ象がメスである事から、メスから子供を産ませる技術があるのだろうと良い方向に解釈しておきましょう。そうしないと、子象が生まれた時に「メスだ」と喜んだ理由が説明できなくなってしまいます。

しかし、そうとなるとどうして鳥の卵を潰す必要があるのでしょうか。鳥はメスだけなので、無精卵ができあがります。潰す必要が無いような…。食料に困っているだろうから食べた方が…。うーん。私の理解不足なのでしょうか。それともあまり深く考えてはいけないのでしょうか。

九井諒子さんの他の作品と比べて

私としてはこの作品には面白いテーマの話があるので、それをもう少し掘り下げて欲しかったです。恋をするアンドロイドから「バグが見つかった」と言ってその回路を取り除こうとする話や、とある星の排他的な宗教に関する話などは、もっと掘り下げるとより切れ味の良い風刺になりそう。

それぞれが短く物足りないので、ストーリーに関して言うと各話がもっと長い「竜のかわいい七つの子」という作品の方がうまいですその作品では登場人物の考えを相対化させることにより、読者にもそれについて考えさせられてしまうような内容になっていて、私はもの凄く好きで道徳の教科書にしてもいいのではないかと感じるほどです

九井 諒子 / KADOKAWA / エンターブレイン (2013/2/19)

九井諒子さんのコミックスは今までに三冊読みました。そのどれもに共通して良いのは、各話の絵の作風を変えてあること。このお陰で飽きにくい。どこかの雑誌に載っているようなゆるい4コママンガや、投稿コーナーを装っているのは、このストーリーは「この世界では日常的で身近にあって、当然のことなんだよ」と暗に示してくれています。この導入があるから読者がストーリーに違和感を抱きにくいのです。

「ひきだしにテラリウム」はショートショート集で、星新一のパロディも少し入っていたりして面白いのですが、各話が短すぎてどうも入り込めません。馬鹿らしくて面白い話も幾つかありますが、短いので「あはっ」と一笑いで終わってしまいます。もったいない。手軽には読めるのですが。

ここで九井諒子さんのようなマンガについてちょっと考えてみると、こうやってストーリーを短めにして、何巻も続かないマンガにするのは良いかもしれません。そうすることで、始まりから終わりまでのストーリーをあらかじめ決めて練ることが出来て、場当たりのものがなくなりそうです。

それに、巷で有名なマンガを読んでみようかと思ったら30巻も出ていたとなると1巻から読むのが大変です。その点、こういった作品集というのは読むのが気楽です。市川春子さんの作品集も良かったです。実は「ひきだしにテラリウム」には市川春子さんの作品にちょっと似た話がありました。

「ひきだしにテラリウム」はなかなか面白かったのですが、過去の作品に比べるとちょっと物足りなさを感じます。九井諒子さんのもう少し長いお話を読みたいです。もの凄く才能に溢れているのは感じ取れるので、これからも作品が出る度に買い続けます。

九井諒子 / イースト・プレス (2013/8/9)
九井諒子 / イースト・プレス (2013/6/28)