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「もしドラ」をもし私が読んだら【もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら】

ずいぶん前に人気になった本だったりしますが、やっと読みました。結論から言うと、ほとんど為にならなかったし、ストーリーも面白くなかったです。本当の時間泥棒。そもそもこの小説は未知のドラッカーを少しでも学べればいいか、ストーリーは二の次でいいやぐらいに思っていたのですが、ストーリーとドラッカーの両方が中途半端で、ほとんど残るものがありませんでした。これが200万部以上売れているわけなので恐ろしい。

ストーリーの始めから文がものすごく淡々としています。「Aさんは〇〇をした。」が続くだけではさすがにストーリーに入り込めません。主人公の描写は少なく、周りの環境の描写も少ない。「主人公は高校に通っているんだよね?」と再確認しなければならないほど普段の高校生活の描写はないです。

著者はドラッカーの「マネジメント」に感動し、この小説を書くことを決めたらしいです。この事から、ドラッカーの言葉を書くことを念頭に置いているため、ストーリーが主体では無いことは想像に難くありません。結果的にストーリーは取って付けたようなもので、餅にきなこを付けるが如く、想像以上にきなこが餅に付いていません。

私が一番違和感を持ったのは、「マネジメント」におけるドラッカーの言葉をすべて正しいとして話を進めていることです。ドラッカーの言葉の正しさをデータをもって説明するなどはしません。反対意見もありません。まあ小説で表を元に説明されたりするとジャンル違いなような気はしますが、ストーリー中に登場する頭がいいとされている監督でも誰でもいいから、ドラッカーの言葉の正しさを後押しするように昔の出来事の失敗談や成功談などで説得力を増させて欲しかったです。

この小説における「マネジメント」の引用は、そのほとんどで理由が抜けています。「こういう場合、xxx をしなければならない」という文章だけでは、さすがに私は納得できません。ドラッカーの「マネジメント」を読んだことが無いのですが、そちらでは理由も付いて説明されていることを願います。

どうして私がこの小説のストーリーが嫌いなのだろうかと考えてみると、主人公が合理的すぎること、伏線が見え見えなこと、淡々としていること、が大きな理由でした。一応もう一度書いておくと、ストーリーはあまり描写が無く、そもそもつまらないです。そんな中、主人公はドラッカーの言葉を信じ、実行します。信じて実行すること自体はいいのですが、「本当に高校生か」と思うほど割り切って考えています。冷淡ささえ感じるほどに。目的のためにばっさばっさと人を切っていくような印象でした。

気になったところばかりを書いてしまいましたが、良かったところもあります。それは終盤のストーリー。ストーリーを終わらせるために、ドラッカーから一度離れ、ストーリー主体になるのです。そこにはエンターテインメント性がありました。ドラッカーから離れればストーリーが面白くなるのは皮肉ですが。しかし、ストーリー最後の言葉で台無しです

(テレビ局のインタビューアー)「甲子園では、どんな野球をしたいですか?」 (応える野球部キャプテン)「あなたは、どんな野球をしてもらいたいですか?」「ぼくたちは、それを聞きたいのです。ぼくたちは、それをマーケティングしたいのです。なぜなら、ぼくたちは、みんながしてもらいたいと思うような野球をしたいからです。ぼくたちは、顧客からスタートしたいのです。顧客が価値ありとし、必要とし、求めているものから、野球をスタートしたいのです」

これは「マネジメント」の「企業の目的と使命を定義するとき、出発点は1つしかない。顧客である。」という言葉に影響されたものなのでしょう。ある意味、「マネジメント」を題材にした小説の正しい終わり方かもしれません。

でも、今現役の野球部員の人はこの本に影響されないで欲しいです。自分が野球をしたくて野球部にいるはずなので、この小説の「野球は顧客(見に来る人や関係者) のためにするべきだ」などという考えは忘れていいです。その言葉を信じてしまうと、「野球が好きで野球をしたい自分」が霞んでしまいます。主体性が重要です。(ただ細かく言うと、小説中では顧客の一部である「野球関係者」には野球部員も入っていることになっていて、ここは理解に難しいです。)

ところで、野球観戦者が応援と称して敵球団のプレイヤーを惑わしていいのでしょうか。野球に詳しくないので分かりません。この行動はスポーツマンシップに則っているとは言いがたいのですが、そもそも観客はプレイヤーではないのでスポーツマンシップに則っていなくてもいいのでしょう。