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読書習慣を付けたい。…マンガも本だよね?

悩みの思考から脱するには体の感覚に意識を向ける『反応しない練習』

Amazon で売れていて気になったので買ってみました。

ここで紹介されている考え方は原始仏教とのことですが、ギリシア哲学、老荘思想、アドラー心理学のそれぞれに近いと感じます。読んでいてそれらを組み合わせたような考え方だという印象を持ちました。世界のどこでも、ある程度同じような発想が生まれてくるのかも知れません。

この本では悩みにどう対処すべきかという問題に対し、反応するな、と答えます。簡単に言うと、無駄な悩みは止めるということです。「悩みの原因 → 心の反応 → 悩み」という図式があり、悩みを持つ人は悩みの原因に気づけない。そこで、まずは悩みを理解することが重要で、悩みの元が分かったら、悩みから脱する。

私もよくやっています。悩みを客観的に捉えるということです。本の方法とは違いますが、「その悩みは、悩む価値があるか? 悩んで答えは出せるのか?」と自問自答するのです。悩む価値が無いならスパッと思考を止める。自分で悩んでも答えが出そうにないものもスパッと思考を止める。そう簡単にはいきませんが、ある程度効果はあります。

体の感覚に意識を向ける方法は効果がありそう

この本にある、「体の感覚に意識を向けて」悩みから抜ける方法は良さそうです。悩んでしまったとき、その思考から抜けるのはなかなか難しいものです。そこで、目を閉じ、体を動かし、自分の体がどのように動いているのかに意識を集中させるのです。これをやってみると、かなり効果がありそうです

ちょっとやってみてください。目を閉じて、両手を持ち上げる。両手を持ち上げつつ、いま自分の手がどのように動いているのか、空間にどのように存在しているのか想像します。どうでしょう? 確かに、体のこと以外を考えられないように思います。これを使って悩みの思考から脱するのです。効果がありそうですね。

妄想は抜けるのが難しい

これにはなるほどな、と思ってしまいました。

妄想をリセットする基本は、「今、妄想している」と客観的に言葉で確認することです。 これは先ほど紹介した「ラベリング」です。仏教の瞑想本にも、そう書いてあります。ただ実践してみると、これがけっこう難しいのです。というのも、妄想は「無意識のうちにハマってしまっている」ものだからです。たいていは、妄想していたことに「後で」気づきます。

確かに、妄想している時には「私は妄想している」と気づけません。ふと現実に帰ってきてから、「ああ、妄想していたな」と気づきます。この妄想でさえ、そこから脱出できると楽になりますね。

こちらも体の感覚に意識を向けることで、現実と妄想を区別させて対処するというようなことが書かれています。これができればすごいですね。

「嫌われる勇気」とかなり近い

「嫌われる勇気」(以前に所感を書きました)という売れに売れた本がありますが、あの発想法と近いものがあります。あちらはアドラー心理学ですが、この本にあることも「嫌われる勇気」に書いてあった用語の方が分かりやすいかも知れません。

例えば、「自己肯定」という言葉。

この「肯定する」という言葉は、世間でいう「ポジティブ・シンキング(積極思考)」とは違います。

よく「自分はできる」とか「日増しに良くなっている」というようなポジティブな言葉を自分に語りかけよう、という話を聞くことがあります。

たしかにこうした言葉が、「暗示」として効くことはあると思います。しかし、前向きな言葉があまりに「現実」とかけ離れていると、心が「ウソ」を感じ、効かなくなってしまいます。結局、言葉だけで終わってしまい、「現実のわたしは置いてきぼり」ということが、よく起こるのです。

ここでいう「自己肯定」は普通の意味とはちょっと違うよ、と頑張って説明していますが、これは「嫌われる勇気」では「自己受容」と表現されていました。つまり「自分を肯定しない、ただ事実を受け入れるのみ」ということです。こちらの言葉の方が分かりやすいかもしれませんね。

「承認欲」と「他者による評価」も似たことが書かれています。原始仏教でもアドラー心理学でも答えは同じ方向です。

柔軟で現実的な答え

仏教では「煩悩を捨てよ」ということで禁欲的なものを思い浮かべますが、この本ではそうしなくても良いと書かれています。ちょっと意外でした。自分が欲によって心に「快」を感じるなら利用せよ、と。ただしこれが悩みになるなら止めなさい、ということのようです。現実的です。

「嫌われる勇気」も「反応しない練習」もどちらも良い本です。そもそも「悩み」について考えたことが無いなら、どちらを読んでも得られるものは多いでしょう。

岸見 一郎
ダイヤモンド社; 1版 (2013/12/12)