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落語がつまらないのは落語家のせい『落語家はなぜ噺を忘れないのか』

落語家はなぜ噺を忘れないのか』を読んでいて「落語がつまらないのは落語家のせい」という話がありました。

柳家 花緑
KADOKAWA / 角川マガジンズ (2014/8/21)

落語がつまらないのは落語家のせい?

私は落語をたまにしか聞きませんが、うーんつまらないなと思うことがあります。私の理解力が足りないのかと落胆…。

落語の場合、もし「面白くない」と言われたときは、その落語家が否定されたことになります。やっている噺は古典なのですから、ネタが面白くないわけじゃあない。やっている落語家が面白くないということです。これが技量があるかないかの問題なんですね。
空間を再現するうえでは伝統芸能も何もない。正しい江戸弁がどうだとか、江戸時代の下町の様子はこうだなんてものは吹っ飛 びます。落語のルールをお客さんが勉強してこないとわからない噺というのは、本来の落語ではないはずなんです。「落語は難しい」「勉強してくればよかっ た」「ステータスを感じます」なんて思わせてしまうのは違うのではないかと。
けれど、現実では、「いや、それこそが落語だ」という同業者が多い。私も以前はそう思っていました。祖父も晩年に言ってましたね、「お客さんにはちょいと勉強してきてもらわなくちゃいけない」と。でも、今、私はその考え方を見直したいんです。

ああ、落語家のせいなのね! と一安心。落語家の話し方、演技が下手だったんだ! …しかしこうは言ってくれていますが、噺を聴く側のせいもあると思います。噺の中で今ではもう使われていないような言葉が出てきたとき、それを知っていないと楽しめないときがあります。みんな笑っているけどどういう意味なんだ…ということがままあります。

そういうところは確かに聴く側に勉強して貰いたいと噺家が思うのも理解できます。ただ噺家から歩み寄ってきて欲しいです。「勉強が足りないからこの噺が理解できないんだ」と突き放すのではなく、落語は大衆娯楽な訳ですから、大衆が分からなかったら意味がないでしょう。

私が桂歌丸さんの怪談話を聴いたとき、噺の前に、噺に登場する今は使われなくなった言葉を説明してから噺に入りました。素晴らしい配慮です。

ここでちょっと気になることがあります。「古典落語」はすべて面白い、という暗黙の前提がある部分です。考えてみると、今にまで話されている古典落語は当然面白いから生き残ってきたのでしょう。ただ全部が面白いとは言えないように思います。一昔前の懐かしのお笑いを見ても私は笑えないことが多いです。その時代時代の笑いはあるはずです。

登場するのは江戸時代のお話ですから、江戸時代が徐々に遠ざかるにつれて、江戸時代を想像できなくなっていきます。勉強しないとその時代のことが分かりません。

最終的には普遍性がある落語が生き残っていくのでしょうね。

本に登場した「笠碁」を聴いてみる

この本には著者、柳家花緑さんの師匠が得意とする「笠碁」を、著者が演じる時のことが書かれています。

私はまず、いろいろな師匠が演っている『笠碁』のCDやDVDを見聞きすることから始めました。新宿の紀伊國屋書店に行って、あれこれソフトを買い込んだのです。立川談志師匠、三笑亭可楽師匠、先代の金原亭馬生師匠、当代の馬生師匠、そして祖父の小さんと、それこそ片っ端から見て、聞いた。偶然ではありますが、立川志らく兄さんの『笠碁』を生で聞く機会にも恵まれました。そのうちに、自分ならこう演じてみたいという希望が出てくるわけです。

一番に思ったのは、登場人物の二人を好感のもてるおじいさんにしたいってことでした。要は二人が喧嘩をする噺ですからね、どうしてもトゲトゲしい おじいさんになりがちなんですよ。お内儀さんに「うるせぇ、ばばあ!」なんて八つ当たりするとかね。これもまた本物の喧嘩らしいのだけれど、私はあえてそ うはしたくなかった。やたらトゲトゲしたおじいさんだと、お客さんは感情移入しづらいと思ったのです。「そういう性格だから喧嘩になるんだ」と反感を覚え るだろうし、こんな二人が後に仲直りしようがしまいがどうでもいいってなるでしょう。それよりも聞いた人たちが「どっちの味方にもなってあげたい」と思う ような、愛くるしいおじいさんを描きたいと。

さて、「笠碁」をちょっと見てみましょう。YouTube にいくつかあります。二つ貼り付けました。立川談志さんのは音声だけのものです。

ところで私は「柳家小さん」を最初「しょうさん」と読んでいました。「柳家小」とは珍しい名前だなぁと。正しくは「こさん」ですね。柳家小さんさん。

柳家小さん



立川談志

これを見聞きすると、私は柳家小さんさんの「笠碁」の方が私は好きです。著者が書いているように、登場人物のおじいさんに好感が持てます。著者は祖父である柳家小さんさんの落語を大いに参考にしたようです。

立川談志さんの方は、少し早口なせいか、登場人物がどうもせっかちで攻撃的に聞こえます。ゆっくり聞けません。まさに「やたらトゲトゲしたおじいさんだと、お客さんは感情移入しづらい」です。

「あくびをするときに表を向いていたから通る人が飲み込まれる」という部分は、談志さんのは間がなくて笑えません。柳家小さんさんの方は笑えます。また、柳家小さんさんの 20:40 あたりからの、道を通る碁敵を目で追っているところはさすがだな、うまいなと感心。こういう細かい動作が落語では重要です。

落語は高尚な趣味

今となっては落語はもう高尚な趣味の部類に入るでしょう。じっと座って落語を聴く。1つの噺が短いもので10分くらい。長くなると1時間以上。こうやってじっと動かずに楽しむ趣味は徐々に廃れていきそうです。

クラシック音楽も高尚な趣味でしょう。私はクラシックをたまに聴きますが、1~2時間の曲は聴く気になれません。そんなに時間拘束されるのかと思ってしまいます。クラシック音楽も、落語も、聴くときに集中力が要るため、何かをしながら聴くというわけにはいきません。

世の中、娯楽が徐々に短くなっていきます。1~2時間続く交響曲よりも、5分の J-POP。2時間の映画を見るよりも、5秒の Vine(ショート動画)。日本は長時間娯楽を楽しめるだけの暇がないから文化が消えていきそうです。

柳家 花緑
KADOKAWA / 角川マガジンズ (2014/8/21)