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「茶道」の読み方は「ちゃどう」?「さどう」?

最近テレビを見ていたら、茶道を「ちゃどう」と読んでいて非常に違和感を持ちました。私はずっと「さどう」と読んでいて、「ちゃどう」と読むのは「喫茶店」を「きっちゃてん」と読むような間違いかと思っていました。(昔は「きっちゃてん」と読んでいたようですが…)

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(画像は Wikimedia より)

検索してみると、NHK に回答がありました。

「茶道」の読み | ことば(放送用語) - 最近気になる放送用語 | NHK放送文化研究所

Q. 「茶道」にはサドーとチャドーの二つの読み方がありますが、どちらが正しいのでしょうか。

A. 放送では、現在どちらで読んでもいいことになっています。

ただし、古くはチャドー、現在ではサドーが一般的だと言われています。『日本国語大辞典』によると、江戸時代まではサドーというのはまれで、茶頭(サドー)との混合を避けるためにチャドーというのが普通だったようです。今でも、茶釜、茶器、茶室、茶道具、茶の湯、茶会などの茶道関係のことばは、すべてチャです。したがって、「茶道」をサドーと読むのはむしろ例外的です。 茶道関係の専門書によれば、サドーをよしとする説では、これが禅院茶湯の伝統的な言い方である、という記述もあります。かつてキッチャテンとも言われた「喫茶店」が現在キッサテンにほぼ統一されたように、「茶道」もしだいにサドーに変化してきたことが推測されます。

読み方はどちらでも良いらしいですが、最近ではテレビ局が「ちゃどう」で統一するような流れがあるような気がしますので、そちらの読み方に傾きつつあるのかもしれません。上の NHK の回答は1997年のものです。

ちなみに "大辞林 第三版" には下のように書かれています。

さどう【茶道】

①「 ちゃどう(茶道) 」に同じ。
②「 茶頭(さどう) 」に同じ。

ちゃどう【茶道】

茶の湯の道。鎌倉時代,禅宗の寺院において定めた喫茶の礼に始まり,民間に広まって,茶室や道具類が整うとともに精神面が強調されるようになった。村田珠光・武野紹鷗らを経て,千利休が侘茶(わびちや)として大成。利休以後,表千家・裏千家・武者小路千家に分かれた。他にも多くの流派がある。茶の湯。さどう。

ところで、「茶頭」が気になります。これを「さどう」と読むので、以前は茶道を「ちゃどう」と読んでいたと NHK の回答にはありました。「茶頭」を "日本大百科全書(ニッポニカ)" で見てみましょう。

茶頭 さどう

茶の湯のことにあたった者。茶堂、茶道とも書き、「ちゃどう」ともいう。茶の湯の古い文献にこの語は見当たらない。安土(あづち)桃山時代、不住庵梅雪(ばいせつ)、千宗易(そうえき)(利休)、今井宗久(そうきゅう)、津田宗及(そうきゅう)らが織田信長・豊臣(とよとみ)秀吉の茶頭となっている。江戸時代になり、とりわけ元和(げんな)から寛永(かんえい)(1615~44)にかけて、「江戸は数寄ばやり」といわれたほど茶事が盛んになった。古田織部や小堀遠州が将軍の茶湯(ちゃのゆ)指南にあずかる一方で、城中では柳営(りゅうえい)(幕府)茶道頭が定められ、地方各藩にも茶道方というような職掌ができた。茶道頭は、織部が2代将軍秀忠(ひでただ)に点茶法を授けたころ、すでに職制として定められており、当時、茶道頭の原田清次郎維利は現米70石を給されていた。1616年(元和2)徳川家康の没後駿府(すんぷ)を引き揚げた中野笑雲は、江戸に宅地と現米50石が与えられ茶道頭に用いられている。寛永から寛文(かんぶん)(1624~73)にかけては幕府の職制も整備され、御茶道頭が御数寄屋頭と改称され、その下に組頭、坊主、露次(ろじ)の者が配されるようになる。[筒井紘一]

え、「茶頭」は「ちゃどう」とも読む…。ちなみに、"大辞林 第三版" では「茶頭」を「さじゅう」と読むと書かれています…。なかなか難しいですね。

…もうここは、最終的に相手に言葉が伝われば OK ということで!