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家族のために完全犯罪を目論む少年の辛さを書き綴った『青の炎』

貴志 祐介 / KADOKAWA / 角川書店 (2012/12/4)

小説の本文中でも出ているように、これは「倒叙もの」と呼ばれる推理小説らしいです。Wikipedia では下のように説明されています。

推理小説 -> 倒叙 - Wikipedia

通常の推理小説では、まず犯行の結果のみが描かれ、探偵役の捜査によって犯人と犯行(トリック)を明らかにしていく。しかし倒叙形式では、初めに犯人を主軸に描写がなされ、読者は犯人と犯行過程がわかった上で物語が展開される。その上で、探偵役がどのようにして犯行を見抜くのか(犯人はどこから足が付くのか)、どのようにして犯人を追い詰めるのか(探偵と犯人のやり取り)が物語の主旨となる。また、先に犯人にスポットが当たることにより、一般的に尺が短くなりがちな動機の描写において、何故、犯行に至ったのかという点を強く描写することが可能である。さらに映像作品では「大物俳優に犯人役を演じさせたくても、下手をすれば配役だけで犯人がわかってしまう」、連続ドラマでは「俳優の演技に影響しないようにするために、(真相が明らかになる)最終回まで犯人が誰かを俳優達に明らかにしないことで、犯人とされた登場人物の役の俳優の演技が最終回とそれ以前とで矛盾が生じる」というジレンマを解決できる。英語ではinverted detective story(逆さまの推理小説の意)と呼ばれる。

例としてドラマでは古畑任三郎シリーズが挙げられています。つまり最初から犯人が分かっているもの。この小説では古畑任三郎のようにねちねちと攻めてはいきませんが。倒叙ものは犯人を当てる楽しみはないのですが、犯人の心理を追っていけるという楽しさがあります。

この小説を読んで最初の感想は「再読したくない」でした。主人公の男子高校生の家庭は母子家庭で、母・娘と家に住んでいます。そこに母の元夫で「屑」と評される男が押しかけ、二階の一室を占領してしまいます。その時から平穏な家庭は崩壊し、その元夫にビクビクと怯える日々が続きます。

元夫は普段は酒を飲んで眠っていますが、酒を探したり賭博に行こうとして起きてきた時には、日常生活をしている母も主人公もその妹もビクッと身構え、会話が止まってしまいます。その男は暴力は振るわないのですが、過去に暴力が原因で主人公の母と離婚しているため、今後も暴力を振るわないか分からないという状況。

この男を何とかしようと対処しようとしても、この男には狡猾な部分があり、うまく法的束縛を逃れるように行動しています。主人公は単独で弁護士に相談に行ってみたところ、母が行動を起こさない限り対処は難しいという結論に。そこで主人公は母に対して「どうしてあんな奴を住まわせているんだ」ときつく当たる。でも母の応えは煮え切らない。そこで主人公は独断で家に弁護士を呼び、母があの男と話すように仕向ける。主人公がその話し合いを盗聴していたら問題の複雑さが分かってきます。「あの男が死なない限り根本的解決が出来ない…」。

ひしひしと主人公の苦しみが伝わってきます。日々続く苦しみをどうやって解決したら良いだろうかといつも考えています。平穏な時に戻りたい。妹もあの男にビクビクしていてかわいそう。男がいるため、主人公と妹は二階の自分の部屋には普段から鍵を掛けていて、妹が自分の部屋に行く時にはもしもの時に備えて主人公が一緒に行ってあげます。

でも、同じ家に住んでいる限り今後何が起きるか分からない。ずっと妹に付いていてあげることは不可能です。ならばと、主人公はその男を殺す計画を立てていきます。主人公の苦しみが本当にダイレクトに伝わってきて、辛くて読み返したくないです。

日本は法治国家ではありますが、問題の男は法で縛り付けることができません。そうした時、やはり実力行使しか選択肢がありません。これは誰もが行き着く結論。一般的に殺人は良くないとされていますが、この状況はその例外的な時で、主人公の主観を追って読んでいると「うまく完全犯罪ができるといいな」と応援してしまいます。主人公が完全犯罪を目論んでいるのは、主人公が捕まってしまうと家族に迷惑が掛かるからという理由から。こうした考えは良く理解できます。殺人犯にも殺人犯なりの考えがあるのです。

犯行を行うのが17歳の少年なので、どうやって殺人をするかには著者も苦労したはず。主人公は高校化学や高校物理を持ち出し、偶然に頼らずどうやって確実に殺すかを考えます。そこは勉強になる部分もあって良かったのですが、何の予備知識も無い状態で11冊の厚い法医学書を主人公が1日ほどでさらりと読むのはちょっと無理が…。うーん、現実的には不可能っぽいのですが…。遺体の検死で主人公の犯行と分からないようにするには、まさに検死の知識が必要であると考えるのは私と同じ思考回路だったので「そうだそうだ」と思いながら読めたのですが。

ちょっと話は変わって、貴志祐介さんの小説では、日常で知識のひけらかしをし、それを後で用いるという手法がよく見られます。それがこの小説でもあります。著者が色々と調べた事を書いているのでしょう。この部分で著者には知的な印象を持てますが、これが多いと読みにくくなってきます。小説というよりも雑学本になってしまいます。この小説はそれが丁度いいバランスでした。

気になったことといえば、ストーリー中で重要な役割をするパソコンの周りの知識はちょっとリアリティに欠けています。私がパソコンを普通の人よりはよく使っているからか、もう一歩踏み込んで欲しいと感じます。今回特に気になったのはインターネット。主人公が知識を得るためにインターネットをよく使っていますが、そのログを警察に調べられたら一瞬で捕まってしまいます。主人公の行動はインターネットのログで筒抜け。インターネット社会は恐ろしい…。あと「串」という用語が説明されていないのですが、みんな知っている事なのでしょうか。「串」の脆弱性に少し触れている書き方をしてるのはさすがです。

ストーリーの最後には、17歳の未熟さが描かれていると感じました。最後の場面はこうした終わらせ方しか無かったのかも。読んでいる最中に私が予想した終わり方は「完全犯罪は出来なかったが、証拠不十分で主人公は捕まらず、心に暗い闇を持ちながら終わる」でした。殺人の重さを読者の心に残さねば、という方向に来るかなと予想していました。

ストーリーの最後には友人の大切さも描かれていました。この小説を書くに当たって著者は高校に実際に出向いて高校生にインタビューしたらしいです。それが作品に反映されています。高校生が持つ青臭さは、申し訳無いですが著者には既にないでしょう。インタビューでそれをうまく補っていました。

全体的には推理小説という印象はほぼ無いです。トリックを確認するために再読する必要も無い。一応ジャンルはミステリーになっていますが、一人の人間の犯行心理と行動理由を描いた作品でした。これでもミステリーなのでしょうか。この本の紹介には「日本ミステリー史に残る感動の名作」とありますが、私は「感動」はしませんでした。

でもこの小説を通して伝えたいことがあるのが伝わってきます。ジュブナイル小説というか、そっちの方面でしょう。私は読んでいる最中、主人公に共感し辛かったです。読み終わった後も爽快な気分になることはありませんでした。でもだからといって低評価ではないです。辛さが伝わってきました。主人公に共感できると読み終わりに鬱になる小説でした。

貴志 祐介 / KADOKAWA / 角川書店 (2012/12/4)