ゆったりとした緊迫感。思い悩む先生への共感は間違っていた『わたしを離さないで』
この前ノーベル文学賞を取ったカズオ・イシグロさんの代表作「わたしを離さないで」。カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を取る前に買ったというのに、今さら読みました。
カズオ・イシグロさんはノーベル文学賞を取る前から知っていたので、少し誇らしい気持ちです。…知っていただけなんですけどね。
「わたしを離さないで」は介護人の女性が過去の独白をするところから始まります。昔を思い出す時の、その思考の経路をそのまま手紙にしたような文章です。
奇妙な言葉がさらりと登場する
仲間のイジメを見ていた話、正面から味方をできなかった話など、子供の頃によくあるような会話にちりばめられる「展示館」「提供」「外の世界」などの、奇妙な言葉。
「展示館って何だ」「提供って何を提供するの?」と疑問は増えていきます。ミステリーに近いものがあります。
「~がいない今」などの不穏な言葉もさらりと出てきます。本当に少しずつ、少しずつ、さらっと事実が伝えられていきます。
ゆっくりゆっくりと、自分たちに起こっていることが分かってきて、じわりじわりと焦燥感が増してきます。
中盤に差し掛かる辺りには主人公や友達がどうなっていくのか分かります。読み始めた頃は、主人公たちはどこかの施設か学校かにいて、何やら色々と制限されている様だとしか分かりません。
でも中盤には読者にはある程度何が起こるか分かっていて、それを登場人物たちが考えないようにしているのが伝わってきます。
人間関係の機微は非常に細かく説明されます。「あの子が前日こうだったにも関わらず、こう発言したのに腹を立てた」「あの子はそれを反省し、その発言の埋め合わせをするかのように、~という行動をした」など、描写が細かい。
ちょっと人間関係が面倒に感じさえします。
最終盤が種明かしで、示唆に富んでいる
中盤から終盤までは社会に出た後の人間関係の話が中心になります。
終盤の終盤は種明かしに近い。ここが一番緊迫感があります。
この小説を読んでいると疑問がずっと付きまといます。主人公たちは少ない情報の中で、ああではないかこうではないかと、事態を推測するのですが、渦中の内部にいると本当のところが分かりません。
それが最後に解き明かされるのです。ああ、そういうことだったのか。本当にミステリーの様な構成です。
最終盤を読むと、幼少時代には奇妙に映っていた先生たちは、こういう考えで行動していたのかと分かります。
先生たちの考えも淡々と語られます。その考えは説得力があります。
思い悩む先生の気持ちに共感したものの…
「君たち生徒は×××なんだ」と伝えるかどうか、悩みに悩む先生がいます。ストーリーを追っているときはその先生に非常に共感できます。
その先生は授業で絵がうまく描けないと悩む一人の生徒に、こっそりと学校の方針と違ったことを言って励まします。「絵を描きたくなかったら描かなくていい」。
この言葉を聞いて生徒は心が軽くなり、物事がうまく行くようになり、感謝をしています。良かった良かった。
しかし、その先生は学校を辞めさせられてしまいます。
読んでいるとき、「えっ、この良さそうな先生を辞めさせるなんて」と思いながら読んでいたのですが、最後まで読むと違った考えになります。「むしろ辞めさせたのは正解か?」と。
これは私自身驚きで、その場面では先生が良い行動をしていると感じていましたが、最後まで読むと、あれは問題のある行動だなぁと、正反対の考えを持ってしまうようになりました。
何とも判断が難しい話なのですが、人間は希望がなくては生きていけません。
このように読了後には逆の考えになってしまう説得力がありました。一見すると奇妙に作られた世界に住んでいた主人公たちは幸せだったように思います。