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物語を通して自分の心の葛藤と戦う『悪の教典』

貴志 祐介
文藝春秋 (2012/8/10)
貴志 祐介(著)
文藝春秋 (2012/8/3)

少し前にあったパソコン遠隔操作事件(2012~15年)。警察が4人の誤認逮捕を行った事件です。「えっ、何人だって?」という冗談が少し流行ったような気がします。検察は証拠もないのに真犯人として捕まえた人物を1年以上身柄拘束していて、うまく行けば5人の誤認逮捕か、と囁かれていました。この事件の犯人は非常に優れた人物で、弁護士を騙し、警察・検察の無能さも手伝ってもう無罪判決を受ける寸前でした。

警察・検察は証拠を何も持っていなかったのですが真犯人と思われる人物を起訴し、弁護側はそのおかしさもあって警察・検察を非難しつつ無罪を主張していました。裁判はこのまま行けば無罪でしたが、その真犯人と思われる人物は保釈中に自らボロを出して真犯人である証拠を見せてしまいました。これでやっと真犯人と確定されましたが、それがなかったら無罪だっという驚愕の事件でした。

真犯人は再逮捕された後、『悪の教典』という小説を引き合いに出し、「私はあの小説の主人公のように振る舞える」と語りました。私はそこで『悪の教典』に興味を持ちました。いつか読みたいなと思っていて、今回やっと読みました。

2年生のクラスの担任教師の主人公は、序盤は金八先生のようにクラス内の問題を解決していきます。その様は清々しいのですが、その中で少し濁りが含まれています。「あなた(主人公)は本当は恐ろしい人なのではないか」と周りの登場人物たちが感想を持ちます。綺麗な水に少しづつ泥が混ざっていきます。

私の感性が著者の感性と合っているのか、ストーリーの展開が非常にテンポが良く感じます。だらだらと同じシーンが続きませんし、徐々に疑念が強まっていくサスペンス感が良いです。貴志祐介さんの小説はこれまでいくつか読んでいますが、どれも楽しめています。さすがです。

この小説はすごく不思議な感覚にとらわれます。上巻の中盤で分かりますが、主人公はサイコパスなシリアルキラーであって、見た目とは裏腹に人をたくさん殺害しています。証拠がなくて捕まっていません。しかし、そうとは知らず周りからは信頼されている。読んでいるときは主人公に少し感情移入してしまうため、殺害をうまく隠し通せて欲しいと願ってしまいます。

この感覚は体験してみると不思議で、無感情な大量殺人は恐ろしいのですが、一方で物語の主人公としては応援してしまいます。読んでいる最中は自分の心の葛藤に悩まされます。誰の視点で描かれているかにはこんなにも影響されてしまうのです。

上巻はテンポ良く進み、下巻に繋げます。下巻は急展開で、一度読んでしまったら早く先を知りたいと一気に読んでしまいました。ものすごい急展開で、途中で読むのを中断したくありません。この緊張感の中、中断できる人の方がすごいです。

読んでいる時は「果たして終わりをどう持っていくのか」「主人公は捕まるのか」とずっと考えていて、おそらくこうだろうと予測は付いてしまいました。そういう意味では予想外ではない終わり方でしたが、私の心の葛藤は本当に最後まで続きました。「無事に犯行を成功させてくれ」「いや、こういう人物は捕まらないと…」。

この葛藤は是非体験して貰いたいです。この葛藤を読者に感じさせるのは素晴らしいです。どうしても多くの物語は主人公が善、相手が悪という二項対立なのですが、この小説は主人公が悪です。その悪を通して物語を見ると、何故か応援したくなってしまう…。読み終えても葛藤が心に残ります。

下巻の最後の最後にはジョークがあり、ここでやっと緊張が解けました。この優しいジョークは読者への思いやりでしょう。

貴志祐介さんの小説の中では『天使の囀り』が一番面白いと思っていましたが、この小説も心に残りました。私は謎を解くミステリー小説が緊張感があって好きなのですが、そのカテゴリーでなくても緊張感がこんなにもある小説もあるのかと良い発見が出来ました。

貴志 祐介(著), 酒井 和男(イラスト)
角川書店(角川グループパブリッシング) (2000/12/8)

この小説は貴志祐介さんの他の小説に比べると展開にちょっと強引な部分があるとは思いますが、この葛藤は収穫です。

貴志 祐介
文藝春秋 (2012/8/10)
貴志 祐介(著)
文藝春秋 (2012/8/3)