10人の生命を産みだしたら1人を殺しても良いのではないか?『殺人出産』
この小説は村田沙耶香さんによる思考実験に近い。4つの短編が入っているのですが、普段から当然だと思っている常識をそれぞれで疑っています。
ただ直接的に「人を殺してはなぜいけないのか」と現代の知識で考えるわけではなく、こういう未来もあるかもね、という提示です。
小説のタイトルになっている「殺人出産」という短編では、殺人と出産が対比されています。殺人をしたら出産をする(罪として出産しなければならない)。逆も可で、10人出産したら1人殺せる権利を得られる。
死刑なんて非合理的で感情的なシステムはもう過去のものなのです、と教師は言った。殺人をした人を殺すなんてこわーい、とクラスの女子は騒いだ。死をもって死を成敗するなんて、本当に野蛮な時代もあったものです、命を奪ったものは、命を産みだす刑に処される。こちらのほうがずっと知的であり、生命の流れとしても自然なことなのです、と教師は言い、授業を締めくくった。
医療技術が進化した未来では、男性でも人工子宮で子供を産める。そして、出生率が下がった未来では、社会として「出産は素晴らしい」という考えがある。
それで10人の子供を産む人は「産み人」として崇められる風潮があり、一人の殺人はそんなに気にされていない。
でも殺される側はたまったもんじゃないなと思いきや、下の考えが書かれて、確かにと納得してしまいました。
「私たちの世代がまだ子供のころ、私たちは間違った世界の中で暮らしていましたよね。殺人は悪とされていた。殺意を持つことすら、狂気のように、ヒステリックに扱われていた。昔の私は、自分のことを責めてばかりいました。何度命を絶とうとしたか知れません。でも、世界が正しくなって、私は『産み人』になり、私の殺意は世界に命を生みだす養分になった。そのことを本当に幸福に思っています」
「こんな残酷な世界がですか。何人もの『産み人』が、出産に耐えきれずに死んでいるんですよ。突然死を宣告される『死に人』や、その遺族の悲しみを想像したことがおありですか」
「突然殺人が起きるという意味では、世界は昔から変わっていませんよ。より合理的になっただけです。世界はいつも残酷です。残酷さの形が変わったというだけです。私にとっては優しい世界になった。誰かにとっては残酷な世界になった。それだけです」
殺したい人がいるなら殺したい側は10人の子供を産む選択肢がある。殺される人は突然殺されるわけではなく、「あなたを殺すことに決定しました」という宣告から実行まで1ヶ月の猶予がある。
つまりこの選択肢では突然殺されることがなくなった、ということです。一人殺せば十人分の命が生まれるわけですし。これを小説中では合理的だろうと言っているわけです。
ちなみに産んだ子供は公的機関に引き取られ、自分で育てる必要はありません。
突然殺されるよりは良いかなぁとも思ってしまうところがあります。でもこの死は強制的な死ですから、その部分がちょっと気に掛かりました。
でもそれを言ったら、産むことも強制的に生命を与えているわけですから、その視点を考えると同じなのかもしれません。
他の短編でも「恋愛は一対一で付き合わないとならないのか」「家族が欲しくて結婚したわけだから、性欲は家族以外で満たしてもいいのではないか」「医療技術が発達したら死ぬ時を選ばないといけない」という思考実験が描かれます。
そもそも、恋愛の延長線上で家族を探すということに、僕には違和感があるんです。家族なんだから恋愛感情は抜きで、男でも女でもない、ただの家族としてパートナーと向き合いたいんです
村田沙耶香さんが話しているところをテレビで見ましたが、常識や当たり前だと考えられていることを疑う人で、この小説はそこから考えるととても彼女らしい小説に思えます。
「コンビニ人間」と同じような皮肉が入っていて、もしかするとそれが強調したいところなのかもしれませんね。
「命の大切さを語っているが、命を殺すことに関しては無頓着だ」と。
新たな視点を貰える小説でした。